こんなに好きなのになにもしてあげられない。しんどいのも眠れないのも治してあげられないし話す言葉さえちゃんと聞き取ってあげられない。本人がいちばん苦しい状況で機嫌だって悪くなって当然なのにわかってるはずなのにいざ冷たい態度をとられるとこんなにも落ち込んでしまうのか。

こんなときは何をしてあげるにもお金を稼がないとはじまらないだろうからせめてそこだけはいちばんがんばろうと思ってたけどこんなにも心折れてしまったらそれさえうまくできない…。なんのためにがんばってきたのかさえよくわからなくなってしまった。

生きててほしいなんてのはわたしやわたしたちのエゴで、本当はもっと楽に死なせてあげる?のがいいのかもしれない。でもいつのまにか物事はつぎのフェーズにうつっていて、いよいよ死を迎える準備になってしまいそうだ。若いわたしはまだまだ生きることに固執してしまう。母がもう治療はやめたい、と言うのはなぜだろう。わかりそうなのにわからない。お金ならいくらでも出すし手助けもする、けれど気持ちの問題なのかな。つらそうなのを見るのがつらいのもエゴ?わからない。何もかもエゴに見えてどうしたらいいかわからない。本人の気持ちは最初は手術なんかしたくないだった。今は?こわくて聞けないみんなそう。聞く瞬間なんか来なくていい。でもいつか来る。

できの悪い娘だと思う。反省する。でもできる限りほんとうにがんばったと思う。だからこんなに悲しい。

うるさく言われるのにも病院にいることにも疲れているんだろうとは思うけどなにも言わないわけにも選択肢がひとつだけのうちは治療をしないわけにもいかない。

選択肢ひとつのまま逃げ切りたい。逃げ切ってほしい。これ以上悲しいこと考えたくない。ただ家族で笑って過ごしたいだけなのにこんなに難しい。知らなかった。知りたくなかった。今は本当につらい。

起きたら全部夢でしたって言ってもらえるかと期待しながら寝たけど全然ダメだった。つらいこと悲しいことありすぎる。いやいやそういうのもういいよ。この生活を守るためにわたしやわたしたちがどれほどのことをしてきたか考えて。

静かに怒ってたらなんか神様が絶望ばっかりつれてきた。

なんとなく日々が続いていくことなんかありえなくて、様々な種類の努力によって守られ、続けられている。だからそんなの絶対無理だけど、なんとなくこんな生活がずっと続いてほしいんだ。なんとなく夢をみてなんとなくそばにいてなんとなく会いに行って。そんな生活が許されてほしいんだってねえお願いマジで。

切実にみる夢は苦しい。こんな気持ちで週末の予定を気にするなんて思いもしなかった。たぶん週末だけじゃなくてもっと先も。最悪の想像ばかり浮かんできてあーどうしたらいいんだ。

とりあえず多少は眠れたし再度病院に向かうかな。
頼むからなんとかなってそのための犠牲は払いますから。

つらい時間の記録をいつかなんとなく眺めることができるようになるまで戦い続けるしかないそれを選ぶ自分の意志で自分の夢だから。正解はわかんないけど。

年末からよく風邪をひいたり気管支炎になったりしていたので肺炎になると死んでしまうかもしれないじいちゃんにうつったら困るからとなかなか会いに行けずにいたけれど、今日昼ごはんを食べに出た帰りに家の前を通りがかったので少し迷って久しぶりに会いに行くことにした。

ばあちゃんが扉を開けるなりじいちゃんの具合が悪いのよ、と言うのでどきりとした。恐る恐る近づいた介護ベッドに横たわるじいちゃんの棒きれのように細くなった脚を見て、わたしは会いにくるのが怖かったんだと気づいた。体調や忙しさのせいにしていたつもりだったけれど、本当は違った。やせ細った脚は何枚もの毛布にくるまれてその頼りなさを強調していた。

こんなあたたかな春の日にこんな風に絶望するなんて小説みたいだと思うけれど現実だ。

わたしのすべてを、と言えるくらいたくさんのものは持っていないけれど、まだまだあげられるものはあると思うからがんばらないとな。

何にでもなれるって呪文

ぜーんぶ本当であってほしいのに、本当のはずなのに、ぜーんぶ嘘であってほしいなんて思う日もある。幸せを恐れるものは幸せになれないというのは真理だと思うのでなるべく強くいたいけど今日はなんかちょっとだけできなかった。最強でいたいのに、最強に痛かった。キズパワーパッドのふくらみを弄んでは君のことを考えていた。わかるとわからないのバランスにいろんなことが左右されていて、今日はわからないがいっぱいだった。

ぬあーーーーーんて書いてみるけど美しいメロディーを聴いてるうちに一瞬で忘れちゃいそうになれたりもする。感情を揺さぶられて気持ちよくなったり、揺れすぎて船酔いみたいになったり人生は忙しい。何にでもなれるって呪文かけてみて白い朝がやってくるたびにきっとまた何度でもやっていける。世界が朝を届け忘れたことは一度もなかったんだもの、みたいなことをマリーズの志磨さんが書いていたブログが大好きだったんだけどもう読めなくなってしまった。どこかに残ってないかな。

もうあんまり寝る時間ないけど寝てみようかな。焦らずやっていきたい。

sunday

いつだって君はここにいなくて、遠くの街はキラキラここは置いてけぼりの私だけが下を向いて歩いている。楽しいことがしたいのに、君がいないと生きていけないわけではないのに、世界の彩度ががくんと落ちてしまったような気がして、味気なさにちょっと足が止まって泣きたくなるんだ。それだけ。それだけなんだけど。

なんて悲しい話ではないのに悲しい話みたいにもなるね。最高潮に寂しい気持ちを書き出してしまえばそんな感じ。TWWTUA聴いてたらそういうのが加速した。

めっちゃ眠いんだけど今日買った本もまだまだ読みたいし勉強もしなきゃだし早起きもしなきゃだし、休日は休日で忙しいな。もう一月が終わった。積み木のいちばん下に何を置くかずっと悩んでいるようなそんな気持ち。

別に暗い気持ちではないのに書いてみるとそういう気持ちになるっていうことは我慢してるってことなのかなー。わからない。とりあえず寝よ。おやすみ。

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ディアマイフレンド! - 最終少女ひかさについての雑記3

二年くらい経ってやっと受け止めれてきたのかも。

ひかさが解散したとき本当に辛くて、生まれて初めてここまでバンドというものにハマったかもしれないと思うくらいあちこち追いかけて見に行ったし、シルバーエレファントで人生で一番最高だったライブをひかさがやってくれた夜に、但野さんからじょんも歌ってよと言われてうれしくて、あんな風に歌いたいって憧れて、いつかひかさと対バンするのを夢みて一回きりのライブで終わってた弾き語りを続けることにして、その夢も岡山で叶えてもらえて、初めて岡山で豊平川を聴いて泣いたときからずっと人生の一部で夢で愛で幸せで大切で、それなのになんでだろう。

仕事が忙しくなってなかなか県外のライブに行けなくなって、次行こう、次行こうと思っていたらあっというまに解散してしまった。ひかさはなんにも悪くないし、ただわたしが終わってしまうのが怖くて見れなかった。聴けなかった。終わりから目をそらした。ハルシオンのMVとかも悲しすぎて一回見たきり見れなくなってた。そんな終わりみたいなこと歌わないで!って逃げてた。北海道行きたいなーって思うたびに前みたいにひかさを観に行くことはできないんだってことが辛くてだんだん考えないようにしていた。そのことをずっと後悔していた。後悔しながらもときどき無性にさみしくなって、仲のいいお客さんといるときにカラオケでいぎありわっしょいをこっそり歌ったりしていた。新しい曲は怖くてほとんど聴けてないから歌えなくて、それしか歌える曲が入ってなかった。それで余計につらくなったりしてた。

昨日仲のいいお客さんがセイコーマートのシールが貼られたライターを持っているのを見つけてなんだかとても懐かしい気持ちになった。出張で北海道に行ったらしい。ひかさを見に北海道に行ってりょうくんやありさきゅんと札駅ドトールで合流してセイコーマート行ったな〜いぎありわっしょいのMV聖地巡りとかしたな〜って思い出して愛しくて胸がぎゅうぎゅうした。不思議とさみしさは少なくなっていて、なんとなくうれしくなったりもして、お客さんに「これ写真とってもいい?」って聞いて撮らせてもらった。

さっき起きて昨夜のカメラロールを見返していたら急に気持ちがわーっと押し寄せてきて、勇気を出してパソコンに向かってYouTubeを開いて「最終少女ひかさ」と検索して『さよならDNA』のMVを見ていた。一回も見れていなかったから。やっぱりかっこよくて終わるからってなんにも変わっていなくって、自分はこんなに美しい姿を怖がっていたんだなって不思議な気持ちにすらなった。時間が経ってやっとちょっとだけ受け入れられたみたいだ。知らなかった。傷は傷のままだと信じて疑わなかったから。

YouTubeの自動再生でラストライブの映像が流れてきた。待つばっかりじゃない、と思っていつも遠くまで足を運んでライブを見に行った。顔を上げてくれと言われて、いつも泣きべそをかいた顔を必死でステージの光に向けていたあの頃を鮮明に思い出す。

また会いに行きたいなってずっと思ってた。けど口に出せなかった。解散ライブも見れなかったようなやつがそんなことを言う資格はないと思っていたし、新しいものを見てしまったらひかさが終わっちゃうから。でも、やっと言葉にできた。我慢できなくなった。また会いに行きたい。また新しいものが見たい。かっこいいものが、美しいものが。幸せの瞬間はいくらでもやってくるから、人生の持ち時間ギリギリまで闘うのはやめない。本当に久しぶり、というか解散してから初めて、今、豊平川を聴いている。このメロディーやっぱり本当に好きだな。ラモネスさんがシンセ弾いてるときの顔が今でも浮かんでくる。自分が見つけた美しさはずっと変わらないから、ちゃんと持っていられるってわかったから、また次に進もう。次の景色を見に、好きな人に会いに行こう。


最終少女ひかさ「ハローアゲイン」 全国ツアー「GEKOKUJO! -2017 巣立ち-」2017年6月23日(金)札幌 Sound Lab moleより

豊平川 - 最終少女ひかさについての雑記 - あれそれ http://cesoir.hatenablog.com/entry/2014/07/08/053147

ハローアゲイン - 最終少女ひかさについての雑記2 - あれそれ http://cesoir.hatenablog.com/entry/2015/07/06/081059

歌にしなきゃ越えられない日々が - あれそれ http://cesoir.hatenablog.com/entry/2015/03/09/033817

エンドレスお昼休み - あれそれ http://cesoir.hatenablog.com/entry/2015/02/02/034722

そんな夜もあった - あれそれ http://cesoir.hatenablog.com/entry/2015/01/14/201344

携帯のメモ帳があふれかえる - あれそれ http://cesoir.hatenablog.com/entry/2015/01/30/025206